2017年12月19日火曜日

部活動…活動縮小…のあとに来るものは…!

最近「中学校の部活動のあり方を見直す」
と良く言われています。
それ自体は、問題ないと思うのですが
どうも、それは部活動の縮小につながっているように
思えてなりません。
また,部活が、さも教員の過超勤務の元凶のように
言われているのは,いかがなものか…?と思います。
これを解決するのは簡単です。
もっと学校に予算をつけて人を雇えば良いのです。
少ない人数ですべてを回すことは、決して倹約ではなく
労力の無駄遣いだと思うのです。

現在の部活動は、
生徒の体力の面
生徒の学力の面
生徒の家庭生活の面
勝利主義の面
保護者の経済的負担の面
教師の労働時間の面

いずれから見ても、
「中学生の適正な活動を逸脱している」として
一気に片づけられてしまいがちなのですが
みなさん一様に「部活動の教育的な意義は認めながら」
と注釈がつくのです。意義があるならもっとできるようにすれば良い。
ではありませんか。
私は、「部活に熱心だ。」と良く言われています。
そんな私は、何のために毎日部活に取り組んでいるのでしょうか?
いろいろ考えてみました。

その結果、
「大会で金賞をとることは、嬉しいし大きく具体的な目標になるが、
それよりも、嬉しいのは、何回か本番を乗り越えた生徒達の変容を
見守ることができるのが、無上の喜びだからだ。」と理解しました。
格好つけすぎでしょうか?

しかし
私の中で、そんな部活動を行うには
現在、あまりにも条件が厳しくなってきています。
結局中途半端な活動になってしまいがちです。
部活動という自分で選択した「好きなもの」を
中途半端しかできない人は
他のあまり気の進まない…もの(学習・対人関係など)に対して
それ以上に熱心に取り組めるものでしょうか?
私の答えは「NO」です。

よく「部活と勉強の両立」と言いますが、私はそれは難しいと思います。
部活と勉強は、両立させるものではなくて、切り替えるものだと思うのです。
生活のなかで「部活に集中するとき」と「勉強に集中するとき」があって
良いはずです。
もちろん、それは受験でも同じで、すべてを捨てて受験に取り組む時期と
すべてを部活動に傾注する時期があって良いと思うのです。

人生で「今」は一度きりです。
今を最大限有意義に過ごすことは、人生を豊かに過ごすことの
第一歩のはずです。

昔を思い出すと
30数年前、教員になったころ
「校内暴力」で荒れた学校を経験しました。
その学校の主なプロセスは、「学力偏重」「詰め込み教育」…「落ちこぼれ」
そして「荒れ」だったのです。

今の状況となんか似た感じがしませんか?
そして「荒れ」を打開するために全国で取り組まれたのは
「部活全員加入」だったのです。
歴史は繰り返します。

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