2017年11月10日金曜日

吹奏楽…挫折の歴史!

私の吹奏楽指導は
教員になるにあたっての
自分内条件のようなものでした。
「吹奏楽指導ができるなら
先生も良いか…。」くらいのものだったような
気がします。
でも、私の吹奏楽指導は
挫折の連続です。
まずは新任校で校長先生に
「部活は何ができますか?」と聞かれて
「吹奏楽部がいいです。」と勢いよく
答えたものの
「吹奏楽部は音楽の先生がやってるからねぇ。」と
と言葉を濁され「今年から柔道部を立ち上げるのだけれど
持ち手がいない。あなたは体格が良いからできそうだ。」
と狙われていたようで、見事柔道部顧問に就任しました。
(柔道なんて体育の時間以外やったことはありません。)
その時代が6年も続くのですが
柔道部時代も吹部への情熱は絶ちがたく…実はコンクールに出ていました。
(音楽の先生が、あまりやる気がなかったので私が行ったら生徒は
喜んでくれました。)
そして
ついに吹部の顧問に就任したのは
3校目、教員7年目でした。
今度は勢い込んで指導を始めたのですが
上手くいきません。
いろいろ伝を頼って、指導法を
勉強したり、教えに来ていただいたり
しましたが、Bの部で県大会は行けるのですが
その上が、まるで届きません。
やはりわたしのような素人はだめなのだ。と何度挫折したのか…。
数え切れません。

でも、その頃は「一度で良いから関東に行ってみたい。
県代表になれたら指導をやめてもいい。」と思っていました。
なかなか芽が出ないまま、指導を始めて10年が経ったころ
転機が訪れました。
そのときの生徒たちが大変意欲的で質も高かったようで
なんと吹奏楽コンクールとマーチングで県代表になったのです。
さらには、マーチングではまさかの全国大会に出場して
夢のような時間を幕張メッセで過ごしました。

しかし、その後に異動した学校では
3年間副顧問で顧問の指導を見ながら
「つまらないなぁ…」と思っていました。
3年後ようやく顧問になって指導を始めたのですが
上手くいきません。あるとき生徒を集めて
「こんな私が顧問で良いのか?」と聞いたのです。
そのとき「私たちには先生しかいません。」との答えを聞いたときに
私の覚悟は決まりました。「吹奏楽指導にかける!」
そして私が指導して5年間のうち4回県代表になることができました。
でも、教員は異動がつきもので
またしても次の学校へ
この学校は部員が少なく16人で大会に出たこともありました。
でも、このときの経験は私にとって大きな糧になりました。

そして今、いろいろと上手くいかないことは
ありますが、生徒たちが「全国」の言葉を口にするようになりました。
私もずいぶん意識しています。
「関東に行けたらやめてもいい。」という時代からみると
贅沢になったものだと思います。
でも、残り少ない時間自分の可能性を試してみたいと思っています。
これは苦しいことでもありますが楽しいことでもあると考えています。
みなさん、ぜひ私と一緒に可能性を広げていきましょう(^O^)


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