昨日、打楽器にエキストラが来てくれました。
何しろ最少人数でやっているので少しでも
増えることは素晴らしいことです。
演奏に活気が出ました。
本番が楽しみです…♫
というタイトルの本を読んでいます。
あまり好きな響きの言葉ではありません。
若い頃は現実的ではありませんでした。
でも、人は確実に歳を重ねます。
私もいつのまにか、定年を迎えました。
今までの人生も
これからの人生も生きていくことには
変わりありませんが
なにか「定年後」は残された時間が
減った感じがして辛いです。
でも考えてみると私が今まで生きてきた歳月は
確定していますが、これからの未来はわかりません。
たぶん今までの人生よりも少ない…とは思うのですが
だって今までの人生をもう一度同じ時間があったとすれば
120歳になるのですから…。
明日がどうなるかわからないのは、若者も同じですから
今やれることを精一杯やるしかないですね…。
中学生の仲間意識は「せまい」です。
でも、もっと小さい頃は「お友達」というのは
クラス全員…関わる人みんなだったのでは
ないでしょうか?
それがいつから数人のグループ化をするのでしょうか?
お答えします。
「思春期だからです。」
人は思春期になると自分がまわりからどう見られているかが
とても気になります。
そして
自分に自信がもてなくなるのです。
だからこそ
少ない人数で、自分の考えを認めてもらおうとするのです。
でも、それは実は人数には関係ないのです。
教室でもそうですが
部活でも、自分と少数の「仲間」しか寄せ付けない人がいます。
部活は「社会性をつける」場です。
だから、たとえ失敗しても、苦手でも
できるだけ多くの人と関わっていくべきなのです。
さらに言えば部活は「先輩後輩」の縦割り社会です。
こういうことは、学校では部下以外ではなかなか経験できません。
そんな中でこそ成長はあるのです(^o^)
よく取り上げるテーマなのですが
学校での活動である以上
学習との兼ね合いは避けて通ることができません。
しかし
私の経験上、部活がうまくデキる人は
学習も良いです。
この「うまく」は技術的なことが最優先ではなく
部活の時間と学習や塾(習い事)の時間を上手に
調整できるということなのです。
私は学校で、学ぶべき大切な事柄は
このような時間の使い方にもあると思っています。
今テスト期間で学習に頑張っていることと思いますが
そんなときも自分の時間使い方が試されるのです(^o^)
昨日から新体制での練習が始まりました。
9人という少人数ですが、練習の予定や
方法を話し合って、みんなが納得できる練習を
目指します。
昨日は「夜に駆ける」フレックスヴァージョンですが
まだまだ音が足りません。
練習の段階で音を足していかないと
曲が面白くなりません。
しかし、音は楽器や体力、技術によって
違いが出ます。
ですからみんなが一緒に練習しなくては
行けないのです。
それが効率化の第一歩です。
その上で個々の技術をさらに磨けば
必ず良い音になります。
楽しみです(^o^)
今日の体育祭を見ていて思いました。
体育祭では、やり切った感があります。
学校行事の意義は、ここにあるように思います。
結局、私たちは自分がどのくらい、一生懸命に
取り組んだかで、満足感が変わるように思いました。
校内の体育祭でも、全国大会でも
やりきった感は同じはずです。
しかし、体育祭などの学校行事は
予選がありません。
だから自分の満足感がすべてです。
しかし大会は金賞などの評価があり
代表に選ばれるかどうかは、大変すくない確率です。
だからこそ、さらに頑張れるのではないでしょうか?
いろいろな意味でわがままになります。
今週、大々的に繰り広げられてきている
体育祭練習…本当に必要でしょうか?
年々楽しめなくなっている私がいます。
とくに今年は、いろいろな行事が感染症予防対策で
なくなり、久しぶりの大行事だからかもしれませんが
せっかく積み上げてきた今までの
落ち着いたペースが乱れてくるような気がします。
今日の新聞にユニセフの日本の子どもの「精神的幸福度」が
調査した38カ国中37位だということが載っていました。
もちろんこれは大きな問題で、いろいろな観点で
考えなくてはいけない問題だと思うのですが
私は、この結果は「幸福」の裏返しなのではないか
と思うのです。
なぜなら、現在の日本の子どもで、、日々食べる物がない
という人は、あまりいないはずです。
では、なにが「幸福度」を下げているのかというと
教育や生活に対する期待度の高さなのではないでしょうか。
なぜ日本人は、みんな同じでなければ満足しないのでしょうか?
それぞれが、自分にあったものをさがして、
それなりに努力する…決していい加減に、ではなくて
常に正解だけが正しいのではないはずです。
とくに10代の頃は、失敗から学ぶことがたくさんあるはずなのですが
それを許さない社会は苦しいだろうな…。と思うのです。
今年は何かと聞く言葉です。
今週から本格化している体育祭練習
このソーシャル…を意識せよ!
とのお話しですが
「本当に必要でしょうか?」
野外で
密着しているわけではないのに
さらに「ディスタンス」が求められるとは
「羹に懲りて膾を吹く」のではないでしょうか?
それより問題は熱中症です…!
本日の休止日…自主練…地味に嬉しい…♪